◆「絵は特に勉強していない」と最近 人に話していて思い出した。
そう言えば 幼稚園の頃 弟と一緒にお絵描き教室に通っていた。楽しかった記憶はない(母の意志)が、このことも現在に影響しているのだろうと思う今日この頃。夏休みの絵日記は、母の指導の下、毎頁ごと手法の違う表現で絵を描いていた。(折り紙を貼る、平たい石を貼る、クレヨンと絵の具を使う、鉛筆のみで描くetc.)
弟はその後、漫画大好き少年になり、東京芸大を経て、今は立派にデザイン事務所をしている。私は絵のことは最近まで全然意識して来なかった。それほど日常だったとも言える。
◆幼稚園教諭時代、休日出勤してまでクラスの壁面装飾を大作の壁画制作のように頑張った。
◆バブル時代 大手企業の広告企画制作部で約3年、残業 月100時間も珍しくなく働き、ちょっとセンスが良くなった気がした。
◆1990−2002年 安西美喜子染工房@佐渡島
東京【お茶の水GAIA】、北海道/新富良野プリンスホテル倉本聰監修【ニングルテラス】での常設コーナー、佐渡島/国際芸術祭 1994年アースセレブレーションほか舞台幕制作、八ヶ岳【ウィークエンドギャラリームウ】・名古屋・佐渡島での個展などの活動。佐渡島でクラフトマンを集め、5年間毎月「第2土曜クラフト市」を主催。佐渡でのクラフト市の先駆となった。五本指靴下は多分日本で初めて絞り染をし独創的で大人気(お茶の水ガイアではこれを販売)だったり、100本の手ぬぐい展で完売したり、注文も多かった。染め絵と言っていい作品だったが、何かしら用途のある布製品だったため、絵を売っている意識は一切なかった。2002年アロマテラピーが体験できるペンション代表になるとともに作家活動終了。
◆2013年6月 思いがけず絵を描く活動を始める
私の描いた絵(チャネリングアートやゴッデスドローイング)から強いメッセージを受け取ったり、涙したり、何気なく描いたのにその方にしかわからない符合のようなものが描き表されているのを見て驚いたりする方がいる。
絵に特別な自信の無い私が絵を描くということは、どういうことなのだろう?・・・と思い目を閉じた。
すると 「メディウム」 と浮かんだ。
「メディウム???」
うーーーん。あまり関係なさそうだけれど調べよか〜(英語がわかってない私)とネットで検索し・・・
鳥肌が立ち、泣けてきた。
メディウムは☞ ミディアム(Wikipedia)だそうだ。
「中間や媒体など「間にあるもの」や「媒介するもの」そして狭義で、【媒質】波動が伝播する場となる物質・物体、【霊媒】霊魂などの実体のない存在との交信や意思疎通ができるとする者」等とある。
この言葉が突然やってきたことに驚いた。と同時に深く腑に落ちた。
あぁそうなのだ。巫女体質だって、自分でも言っていたではないか。
絵の仕事をするつもりのない時から、描いて欲しいとの依頼が続き、気軽に描いた絵を良い、欲しいと言ってくださる方がいて、仕事へと広がり、天から「やりなさい」と背中を押されるように自然に始まった。
自分の満足も不満足も手放し、できる限り太くクリアな管になり、空(KUU)からきたものを五感でわかる形にするのがアーティストとしての私の役割。
絵に触れた人から喜びが流れ出すことが 私の絵を描く理由。
自分の満足も不満足を手放し、できるだけ太くクリアな管になって、空(くう)から受け取ったものを流し、五感でわかる形にするのがアーティストとしての私の役割。
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で・・・
私は自分の絵の評価が どうしてここまでわからないのだ!?
と思うくらいわからない。
ものすごく楽しさが伝わってくる!!!
見た時に心を奪われた♡
という言葉も「そ?そぉ? ふつーーーーーに描いたんだけどなー」と思い、逆にこれ良いわ♡と思ったものは、誰も何も言わなかったり。。。
描き直したい!できれば人に見せたくないと思っても、見て涙を流してくださったり・・・「自分の絵の価値を自覚してください!」とまで言ってくださる方もいて、本当にありがたい。
ここまでわからないのは、何かある?
と 考え ふと思い出したのは
1990年頃から、染色家としての私は手が追いつかないくらい自己(自我?)表現したい想いがあり、寝る時間を削り、凄い勢いで作品制作をしていた。
それが、2000年よりちょっと前から様子が変わってきた。
「このラインは絶対許せない!絶対この色でなくてはダメ!」「この思いをぴったりの形にするっ!」と活動していたのが、「この暖簾をくぐる人が幸せを感じたらいいな」「このワンピースを着る人が愛に包まれるような感覚になりますように」と、超自己表現したい人から、いつの間にか変化していた。
だったら布を介したりせず、直接人に会って幸せになって頂くような仕事をすればいいんじゃないか???
そう!
そうして絵を止めたんだった。
(当時は絵の仕事をしている意識は全くなかったけれど)
だから、また始めるのだったら、それ 肝 よね。
私は、私の満足のために描くのではない。
人の幸せのために絵を描く
そんな当然のようなことを
はっきりと やっと意識できた。
自分の満足も、不満足も手放して
私は人が幸せになるために絵を描く。
そして
その期待も手放して描けるようになるだろうか。
絵としてみた時に、自分では上手くいっていないと思うこと
描き直したくなるようなことは しょっちゅうだ。
でも、その度に自分の満足のために描くのではない
と言い聞かせる。
描くときは
大きなその前提の前で
あとは ただ内側にくる流れを感じて
その色と形を現すべく
無邪気に 既成概念を捨てながら描く。
では何の媒体になっているのだろう?
と 問うてみた。
そしたら「空(くう)」と。
そ。。。それは 大それているでしょう?
と 思ったが
メディウムのあとに来た言葉だ。
「空」が何なのかも
わからないけれど
(完全に宇宙と一体になるまではわからないだろう)
きっと そうだと思っている。
だから
できるだけクリアな詰まりの少ない
中空の竹のようでいたい。
・・・
イエス様 仏陀さん 大好きなマグダラのマリア様 日本の神々 インドの神々さま
見守っていてください。
描いたものが皆さまのハートを温めることができるとしたら
それは 本当にありがたいこと。
絵の仕事をしようだ等と考えてなかった私に
そんなことができるように してくれた天に感謝します。
受け取ってくださる 皆さまに感謝しています。
2013年11月 LOVE 美喜子
(ここまで読んでくださって ありがとう♡)